今、日本で「言葉が通じていない」と感じる人は、たくさんいるのではないだろうか。

「察し」を重視するこれまでの日本語文化では、意思疎通を図ろうとする双方に「共通経験」が欠かせない。共通経験があって初めて、察しが成立する。しかし、共通経験は2つの理由で減少を続けている。

  1. グローバリゼーション
  2. 多様化

 グローバリゼーションの影響は、世界の田舎の日本では少ない。むしろ多様化の波が、世代間だけでなく同世代の間にも急速に広がっていて、私たちはうまく対応できていない。例えば朝、学校や会社に行ったとき、共通の話題が見つかりにくくなっている。

 その現状に対して、日常ではもっぱら「無関心」や、その真逆の「分かり合った気になる」という対処方法が採られているが、共通経験が少ない中で察する事はできないのだから、それはつまり、自分の殻に閉じこもる思考停止モードに他ならない。

 どうすれば、グローバリゼーションと多様化に対応できるのか。方法は2つある。

  1. 共通経験を発生させる
  2. 共通経験を前提としないコミュニケーション技術を身につける

 共通経験を発生させること、とくに身体感覚を伴う共通体験を発生させる事が対応方法のひとつではあるけれど、これは波に逆らっている。むしろ、共通経験を前提としないコミュニケーション技術を身につける方法の方が、波に乗って遠くまで行けるはずだ。

 共通経験を前提としないコミュニケーション技術とは、昔から欧米で実践されている「論理的に言語化」する技術だ。英語でのコミュニケーションが代表的だが、日本語を使ってももちろん、論理的に言語化する事はできる。論理的に言語化する技術は、言語の種類には依存しない。

 僕は、察しの文化はそれはそれで居心地が良くて好きなのだけれど、それはいったん捨てて論理的に言語化する技術を身に付け、そしてより遠くまで行きたい。